パンクやハードロックの先駆け的バンドの一つ
今日はMC5で一番好きな曲「この1曲」を取り上げます。
MC5は1964年アメリカ・ミシガン州リンカーン・パークで結成されたロックバンド。ストゥージズ等とともにパンクやハードロックの先駆けとしてリスペクトを受けています。
メンバーと担当楽器は以下の通り。
- ロブ・タイナー(ヴォーカル)
- ウェイン・クレイマー(リードギター)
- フレッド・ソニック・スミス(リズムギター)
- マイケル・デイヴィス(ベース)
- デニス・トンプソン(ドラムス)
10代の頃からの友人だったウェイン・クレイマーとフレッド・スミスはR&B、ブルース、チャック・ベリーなどのロックンロール、そして後にガレージ・ロックと呼ばれる音楽のファンでした。二人はそれぞれバンドに属していましたが、両グループのメンバーが大学や定職に就くために脱退したため、二つのバンドが合併するかたちで新バンドを結成。ベーシストだったロブ・タイナーがヴォーカリストとして加入し、1965年にマイケル・デイヴィスとデニス・トンプソンが加入し、ラインアップが固まります。
デトロイトとその周辺のあらゆる場所で毎晩のように演奏していたMC5は、その爆発的なライブ・パフォーマンスで瞬く間に評判となり、地元では1000人以上のオーディエンスを動員していました。
1966年にゼムの「I Can Only Give You Everything」のカバーをリリース。その後もシングルを数枚リリースし、徐々に知名度を上げていきます。そして1968年の夏、MC5はアメリカ東海岸をツアーし大きな反響を呼びます。
MC5はストゥージズとともに、急成長するハード・ロック・シーンをリードするバンドとなり、大手レコード会社からも興味を示されます。両バンドは1968年9月にエレクトラと契約し、1969年2月にデトロイトのグランド・ボールルームで行われたライブを収録したアルバム「Kick Out the Jams」をリリース。このアルバムはビルボード200で30位、タイトル曲はホット100で82位を記録しました。
エレクトラを離脱後アトランティックと契約し、1970年1月にはセカンド・アルバム「Back in the USA」をリリース。リトル・リチャードの「Tutti Frutti」や、チャック・ベリーの「Back in the USA」のカバーを収録し、全米137位と商業的には前作には及びませんが、現在では名盤と評価されています。
1971年10月にはサード・アルバム「High Time」をリリース。すべての曲がオリジナルで、全メンバーがいずれかの曲に関与する意欲作ですが、これも商業的には失敗。アトランティックから離脱します。またメンバーの間ではハードドラッグが蔓延していて、バンドは終焉に向かいます。
1972年2月13日、ヘロインを常用していたマイケル・デイヴィスがバンドを脱退。残ったメンバーは、「Gold Rush」と「Inside Out」の2曲をロンドンでレコーディング。これがバンドの最後のレコーディング・セッションとなりました。
その後、グループはしばらく活動を続け、最終的にはクレイマーとスミスがリッチー・ダーマ(ドラムス)とデレク・ヒューズ(ベース)と一緒にツアーを行い、オリジナル曲と同様にR&Bのカバーを演奏するという形に。
MC5は1972年12月31日、グランド・ボールルームでのライブを最後に解散となりました。
MC5で一番好きな曲
MC5はひととおりパンクを聴いてから「お勉強」のつもりで「Kick Out the Jams」を聴いたのが最初でした。ハイテンションでめちゃくちゃカッコいいライブでブッ飛びましたけどね。その後は「Back in the USA」、「High Time」と聴いていきましたが、やっぱり「Kick Out the Jams」の衝撃が凄かったですし、一番聴いたアルバムですね。
MC5で一番好きな曲「この1曲」は「Kick Out the Jams」収録のタイトル曲、代表曲ですね。「Kick Out the Jams」を選曲します。
疾走感があって、暴力的なまでにノイジー&爆音なこの曲。やっぱり最高にアガる曲ですね。
決してメインストリームで成功を収めたバンドではないですが、のちのパンクやガレージ・リヴァイヴァルへの影響は大。ジャック・ホワイトは幼少期にMC5で育ったらしいですからね。
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