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トッド・ラングレンのおすすめ「この1曲」

この1曲
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プロデューサー、ソロ、バンドで才能を発揮

今日はトッド・ラングレンで一番好きな曲「この1曲」を取り上げます。

トッド・ラングレンは1948年アメリカ・ペンシルベニア州アッパー・ダービー生まれのミュージシャン。その活動は多岐にわたり、シンガー、ソングライター、レコード・プロデューサーであり、ソロ・アーティストとして、またユートピアのメンバーとして、様々なスタイルの演奏を行っています。

1966年にアッパー・ダービー高校を卒業したラングレンはフィラデルフィアに移り、ブルース・ロック・バンド、ウッディーズ・トラック・ストップでキャリアをスタートさせ、フィラデルフィアで人気となります。 1967年にはロック・バンド、ナッズを結成しています。

1968年、4枚のデモをレコーディングし、ナッズはアトランティック・レコードの子会社であるスクリーン・ジェムズ・コロンビア(SGC)と契約。1968年7月にデビュー・シングル「Open My Eyes」をリリース。10月にはファースト・アルバム「Nazz」をリリース。

ナッズのセカンド・アルバムはダブル・アルバムになる予定でしたが、アトランティックによって1枚のディスクに縮小されました。これにより1969年後半にバンドを脱退します。

ナッズを脱退したラングレンは1969年の夏にニューヨークに移り住み、アルバート・グロスマンの下でエンジニア兼プロデューサーとして活動します。
プロデューサーとしての最初の仕事の一つは、ザ・バンドのエンジニアリングとミキシングでした。1970年8月にリリースされた「Stage Fright」はビルボード200で5位を記録し、それまでのザ・バンドの最高位を記録しました。

もうパフォーミング・アーティストには戻れないと思っていた時期を経て、ラングレンはグロスマンにソロ・デビュー・アルバム「Runt」のアイデアを持ちかけ、最小限の予算での制作が了承されます。

1970年半ばにリリースされた「Runt」は、リード・シングルの「We Gotta Get You a Woman」がビルボード・チャートで20位を記録するなど好評を得ます。1971年6月にはセカンド・アルバム「Runt: The Ballad of Todd Rundgren」をリリース。

トッド・ラングレン名義で正式に発表された最初のアルバム「Something/Anything?」は1972年2月にリリースされ、全米29位を記録し、3年後にはゴールド認定を受けます。 リード・シングル「I Saw the Light」はビルボード・ホット100で16位を記録しました。

1973年3月には「A Wizard, a True Star」を、1974年2月には「Todd」をリリースします。また、この頃からラングレンを中心としたプログレッシヴ・ロックバンド、ユートピアを結成し、バンド活動もスタートさせています。

トッド・ラングレンのソロ・キャリアは多作で、最新作の「White Knight」(2017)まで26枚のスタジオ・アルバムをコンスタントにリリースしています。また、ユートピアも活動休止を経て、現在も活動中です。そして、プロデューサーとしてはニューヨーク・ドールズ「New York Dolls」、ホール & オーツ「War Babies」、パティ・スミス・グループ「Wave」、チープ・トリック「Next Position Please」、XTC「Skylarking」などの名作を担当しています。

トッド・ラングレンで一番好きな曲

トッド・ラングレンはドールズやXTCのアルバムをプロデュースしているのは知っていて、ソロやユートピアでも活動しているのも知っていましたけど、ちゃんと聴いたのは大学に入ってからでした。ファースト・アルバムから聴いていったのですが、なんで今まで聴いてなかったんだろうと、ちょっと後悔しました。特に初期のアルバムは名作揃いですね。

そんなトッド・ラングレンで一番好きな曲「この1曲」はサード・アルバム「Something/Anything?」に収録の「I Saw the Light」を選曲します。この曲を聴きたくて「Something/Anything?」を引っ張り出してきたことが今まで何度あったことか。一気に晴れやかな気分になるんですよね。
多くのミュージシャン、特に高橋幸宏をはじめとした日本人にカバーされ、愛された名曲ですね。

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