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ヴァン・ヘイレンのおすすめ「この1曲」

この1曲

アメリカンHR/HMバンドの先駆け的存在

今日はヴァン・ヘイレンで一番好きな曲「この1曲」を取り上げます。
ヴァン・ヘイレンは1972年にアメリカ・カリフォルニア州パサデナで結成されたロックバンド。

メンバーと担当楽器は以下の通り。

現ラインナップ
  • デイヴィッド・リー・ロス(ヴォーカル)※1978-1985、1996、2007-
  • エドワード・ヴァン・ヘイレン(リードギター、キーボード)※1972-
  • ウルフギャング・ヴァン・ヘイレン(ベース)※2006-
  • アレックス・ヴァン・ヘイレン(ドラムス)※1972-
旧メンバー
  • マーク・ストーン(ベース)※1972-74
  • サミー・ヘイガー(ヴォーカル、リズムギター)※1985-1996、2004-2006
  • ゲイリー・シェローン(ヴォーカル)※1996-1999
  • マイケル・アンソニー(ベース)※1978-2006

アレックスとエドワードのヴァン・ヘイレン兄弟はオランダに生まれ、1962年に一家でアメリカ・カリフォルニア州パサデナに移住しました。

1972年、ヴァン・ヘイレン兄弟は、リード・ヴォーカル、ギターのエディ、ドラムスのアレックス、ベースのマーク・ストーンを中心としたバンド「ジェネシス」を結成し、のちにデイヴィッド・リー・ロスをリード・ヴォーカルに迎えます。 1974年までにストーンが脱退。マイケル・アンソニーが加入します。バンド名はジェネシス→マンモスと変遷し、1974年までにヴァン・ヘイレンとなりました。

地元で演奏活動を続け、徐々にファン層を拡大。1970年代半ばにはロサンゼルスでは知名度の高いバンドとなり、ウィスキー・ア・ゴー・ゴーのような有名クラブで演奏するようになりました。

1977年にワーナー・ブラザースと契約し、1978年2月にファースト・アルバム「Van Halen」をリリース。全米アルバム・チャートで19位を記録し、1000万枚以上を売り上げ、ダイヤモンド認定を受ける大ヒットアルバムとなりました。

その後は1979年「Van Halen II」、1980年「Women and Children First」、1981年「Fair Warning」、1982年「Diver Down」と毎年アルバムをリリースし、すべてマルチプラチナに認定。1980年代初頭までに、ヴァン・ヘイレンは当時最も成功したロック・バンドの1つとなりました。

6thアルバム「1984」は、全米で1000万枚のセールスを記録し、「Jump」、「I’ll Wait」、「Panama」、「Why Can’t This Be Love」のヒット・シングルを生み出しました。

1985年、デイヴィッド・リー・ロスがソロ活動を開始するためにバンドを脱退。後任のヴォーカリストとしてサミー・ヘイガーが加入。サミー・ヘイガー在籍時のヴァン・ヘイレンは、1986年「5150」、1988年「OU812」、1991年「For Unlawful Carnal Knowledge」、1995年「Balance」と4枚の全米No.1、マルチ・プラチナ・アルバムをリリースしました。

1996年にサミーが脱退し、元エクストリームのゲイリー・シェローンが加入。1998年に「Van Halen III」をリリースしますが、1999年に脱退。その後はサミーの復帰と脱退を経て、2006年にはデイヴが復帰し、マイケル・アンソニーが脱退。後任のベースにはエディの息子であるウルフギャング・ヴァン・ヘイレンが加入します。2012年には「A Different Kind of Truth」をリリースしました。

2015年以降はエディの体調が思わしくなく、活動を休止している状態が続いています。

ヴァン・ヘイレンで一番好きな曲

ヴァン・ヘイレンは私が物心ついたころにはスターダムにいたので、それがヴァン・ヘイレンだとは知らずにいろんな曲を聴いていました。中学生になった頃にアルバムでも聴いていきましたが、やっぱりエディのギターがものすごい。

私にとってのヴァン・ヘイレンはエディのギターを聴くためにあるようなものだったので、ヴァン・ヘイレン=Jumpという評価はどうも納得がいかないんですよね。

そんなわけでヴァン・ヘイレンで一番好きな曲「この1曲」はエディのギターが炸裂する曲を。ファースト・アルバム「Van Halen」収録のキンクスのカバー曲「You Really Got Me」を選曲します。もう、出だしの一音目でやられてしまいます。アグレッシヴで楽しい。エディのギターワークを堪能できる曲

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