グラムロック全盛期に活躍
今日はモット・ザ・フープルで一番好きな曲「この1曲」を取り上げます。
モット・ザ・フープルは1969年にイギリス・ヘリフォードシャーで結成されたロックバンド。
デビュー当時のメンバーと担当楽器は以下の通り。
- イアン・ハンター(ヴォーカル、ピアノ、リズムギター)
- ミック・ラルフス(ヴォーカル、ギター)
- デイル・グリフィン(ドラムス)
- オヴァレンド・ワッツ(ベース)
- ヴァーデン・アレン(オルガン)
1966年に結成されたドク・トーマス・グループはギターのミック・ラルフス、ヴォーカルのスタン・ティピンズ、ベースのピート・オーバーエンド・ワッツ、ドラムスのデイル・グリフィン、オルガンのヴァーデン・アレンというメンバーでイタリアで活動していました。このグループは、イギリスではサイレンスという名前で活動し、デモをレコーディング。
サイレンスはアイランドのプロデューサー、ガイ・スティーヴンスの目に留まります。彼はこのグループを気に入っていましたがティピンズをリード・シンガーにはせず、オーディションの末、イアン・ハンターがリード・シンガー兼ピアノ・プレイヤーとして加入します。スティーヴンスのすすめでバンド名をモット・ザ・フープルと改名します。
1969年11月にファースト・アルバム「Mott the Hoople」をリリース。全英66位を記録します。その後も1970年9月「Mad Shadows」、1971年3月「Wildlife」とリリースしますが、商業的には失敗し、モット・ザ・フープルは解散を決意します。
モット・ザ・フープルのファンだったデヴィッド・ボウイはバンドが解散しようとしていることを知り、ボウイはバンド継続を説得し、曲提供とプロデュースを買って出ます。「All the Young Dudes(すべての若き野郎ども)」が提供され、1972年7月にリリースされると、この曲が全英3位とモット・ザ・フープル最大のヒットとなりました。9月にはアルバム「All the Young Dudes」もリリースされ、全英21位を記録します。
1973年7月にアルバム「Mott」をリリース。全英アルバムチャートで7位を記録し、「Honaloochie Boogie」と「All the Way from Memphis」という2つのヒット曲を生み出しました。
このアルバムのリリース前にバーデン・アレンが脱退し、その後ミック・ラルフスもバッド・カンパニー結成のために脱退。
1973年11月、ミック・ラルフスが脱退する前に録音したシングル「Roll Away the Stone」が全英8位と成功を収めました。ラルフスの後任にはアリエル・ベンダーが加入します。
1974年3月にアルバム「The Hoople」をリリースし、全英11位を記録。その余韻の中で、すぐにライブ・アルバム「Live」がリリースされ、全英32位、全米でも23位とヒットします。その後、ベンダーに代わってミック・ロンソンが参加しています。アメリカツアーのプロモーションのために渡米していたイアン・ハンターが体調を崩し、そのままミック・ロンソンと共に脱退。モット・ザ・フープルは1974年12月に解散を表明。
残されたメンバーはバンド名をモットと改名し活動を続けますが、アルバムセールスは不振で、結局解散となりました。
モット・ザ・フープルで一番好きな曲
モット・ザ・フープルはボウイ繋がりで「All the Young Dudes」から聴き始めて、「Mott」もよく聴きました。グラムロックって定義づけが難しいですね。一般的には派手な衣装でメイクも施すというビジュアルに偏ったところが大きな要素と思いますが、モット・ザ・フープルはそうでもなく、ボウイの関連ということもあってグラムロックに分類されている気もします。イアン・ハンターのヴォーカルはどことなくディランの影響を感じさせますし、初期なんかはザ・バンドに近い匂いも感じますしね。
モット・ザ・フープルで一番好きな曲「この1曲」にはやはり外せないこの曲。ボウイが提供した代表曲「All the Young Dudes(すべての若き野郎ども)」を選曲します。ディランの影響なんて話をしましたが、Aメロ=ディラン、Bメロ=ボウイという感じで進行して、サビは最高にエモーショナルです。
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