日本でも人気を博したスウェーデン出身バンド
今日は、アトミック・スウィングで一番好きな曲「この1曲」を取り上げます。
アトミック・スウィングは1992年に結成されたスウェーデン出身のロック・バンドです。
オリジナル・メンバーと担当楽器は以下の通り。
- ニクラス・フリスク(ヴォーカル、ギター)
- ミッケ・ローサ (キーボード、コーラス)
- ヘンリック・バーグランド (ドラムス)
- ペテル・オーウィン(ベース、コーラス)
Perssons Packというバンドで活動していたニコラス・フリスクを中心に結成されたアトミック・スウィングは、1992年9月にファースト・シングル「Stone Me into the Groove」をリリースします。
この曲がスウェーデンで大ヒットとなり、1993年2月にはファースト・アルバム「A Car Crash in the Blue」を発表。スウェーデンでは大ヒットとなる10万枚を売り上げ、本国スウェーデンで1位となり、ゴールド・ディスクも獲得。また、シングルカットされた「Smile」、「In the Dust」、「Panicburgh City」といった曲もヒットします。
スウェーデンとともにアトミック・スウィングをフォローしたのが、そう、日本です。彼らはカーディガンズらとともに日本で人気を博したスウェーデンのバンドの先駆け的な存在となりました。
1994年には「A Car Crash in the Blue」でスウェーデンのグラミー賞を2部門で受賞。アトミック・スウィングは、その年の残りをスタジオで過ごし、セカンド・アルバムをレコーディングしました。
1994年9月にセカンド・アルバム「Bossanova Swap Meet」をリリース。このアルバムにはニクラスがファンと公言する元ロネッツのロニー・スペクターも参加していて、「So in Need of a Change」で共演を果たしています。
しかし、このアルバムは前作ほどのセールスはあげられず、アトミック・スウィングは一時期、活動を休止してしまいます。
休止中には各メンバーは独立して仕事をしましたが、ベースのペテル・オーウィンが脱退することになり、オーディションの末、アンダース・ポールソンが新メンバーとして加入します。
1996年の夏、アトミック・スウィングはフランスのノルマンディーに赴き、プロデューサーのマイク・ヘッジスとともにサード・アルバム「Fluff」のレコーディングをおこないました。1997年1月にリリースされた先行シングル「Walking My Devil」は、あまり良いアクションは得られず、同年3月に発売されたアルバムもセールスは不調に終わります。予定していたバンドのツアーは中止となり、アトミック・スウィングは解散します。
それぞれのソロ活動を経て、2006年に再結成。アルバム「The Broken Habanas」もリリース。以降は沈黙が続きますが、昨年2020年、シングル「I Want My Own Cross」をリリースするなど活動が活発化させています。
アトミック・スウィングで一番好きな曲
アトミック・スウィングはリアルタイム世代なので、「Stone Me into the Groove」がリリースされた1992年から横目で見つつ、いい曲だなと思ってました(盤を買うまでには至らず)。本格的に聴き出したのは大学時代。同期の友人がファーストを持っていて、彼の家で聴いたのが最初だと記憶しています。
そこでまあ、ひとことで言えばアクが強い音楽性に耳を持っていかれましたね。アルバム全体通して二クラスのねっとりしたヴォーカルとそれに呼応するようなギター、絶妙なバランスで入る60年代テイスト満載のオルガン、タイトなドラムス、メロディックなベースがうねるように展開され、一気にファンになってしまいました。アルバムはやはりこのファースト「A Car Crash in the Blue」が一番聴き込んだ作品です。
さて、曲となるとファーストからの「Panicburgh City」、「Smile」、「In the Dust」のシングル曲はどれも好き。セカンドからも「So in Need of a Change」やタイトル曲「Bossanova Swap Meet」なども良いんですけど、やっぱり一番聴き込み、この曲だけでアトミック・スウィングの音楽性を表現できている「A Car Crash in the Blue」収録の「Stone Me into the Groove」を選曲したいと思います。リリースから30年近く経ちますが、この曲の魅力は私の中では色褪せていません。
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