レゲエというジャンルの名付け親
今日はトゥーツ・アンド・メイタルズで一番好きな曲「この1曲」を取り上げます。
トゥーツ・アンド・メイタルズは1962年にジャマイカ・キングストンでヴォーカル・グループ「ザ・メイタルズ」として結成されました。
結成当初のメンバーは以下の通り。
- トゥーツ・ヒバート
- ヘンリー・ラリー・ゴードン
- ナサニエル・ジェリー・マティアス
メイタルズが最初にチャートで成功を収めたのはプロデューサーのクレメント・コクソン・ドッドのスタジオ・ワンでのレコーディングでした。このレコーディングではドッドのハウスバンドであるスカタライツをバックに、メイタルズの緊密なハーモニーのゴスペル・シンギングを展開しました。スタジオ・ワンに約2年間在籍した後、プリンス・バスターとのセッションを経て、1966年にバイロン・リーとレコーディングをおこないました。1966年に初のジャマイカ独立祭ポピュラー・ソング・コンペティションでオリジナル曲「BamBam」を演奏し優勝。彼らはさらに2回コンテストに優勝しました。
1966年後半にトゥーツがマリファナの所持で18か月間投獄され活動休止。1967年にトゥーツが釈放された後、メイタルズは中国系ジャマイカのプロデューサー、レスリー・コングとのコラボレーションを開始。1960年代後半から1970年代初頭にかけて「Do the Reggay」、「Pressure Drop」、「Sweet And Dandy」、「54-46(That’s My Number)」など一連のヒットを生み出しました。「Do the Reggay」は「reggae」という単語を最初に使用した曲で、メイタルズはレゲエというジャンルの名付け親となりました。
1970年にリリースされた「Monkey Man」は初の世界的ヒットとなりました。1971年までに彼らはアイランド・レコードとレコーディング契約を結び、ジャマイカ最大のアクトとなり国際的なスターとなりました。
1972年、グループは「Pomps and Pride」でジャマイカ独立祭ポピュラー・ソング・コンペティションで3度目の優勝を果たしました。 同年、ジミー・クリフ主演の1972年の映画「The Harder They Come」のサウンドトラックに2曲を提供。この映画はジャマイカの音楽をアメリカの観客に紹介し、バンドは映画にも出演しています。
1971年にプロデューサーのレスリー・コングが亡くなり、グループはコングの元サウンド・エンジニアだったウォーリック・リンのもとでレコーディングを続けました。1972年にはトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズと改名。
1975年10月1日、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズはロサンゼルスのロキシー・シアターでのライブを生放送し、この放送はリマスタリングされ、「Sailin’ On」というタイトルのアルバムとしてリリースされました。
「Reggae Got Soul」のリリース後、1975年から76年にかけてザ・フーの北米ツアーのオープニング・アクトを務めました。
トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズの楽曲は1978年から80年にかけてイギリスでスカのリバイバル期に人気が復活し、スペシャルズが1979年のデビュー・アルバムで「Monkey Man」を、クラッシュが「Pressure Drop」をカバーしました。
1980年9月29日、バンドは「最速アルバムリリース」の記録でギネスブックに載ることを目指して、ニュー・アルバム「Toots Live」をリリース。録音、プレス、レコード店への配布という行程を24時間でおこないました。しかし、レーベルの不手際により、この成果はギネスブックに登録されませんでした。
1981年にアルバム「Knock Out!」をリリースした後、グループは解散。トゥーツは1980年代を通してソロ・アーティストとしてレコーディングを続けました。
1990年代初頭にトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズは新しいラインナップで再結成。
2004年には、ボニー・レイット、ウィリー・ネルソン、エリック・クラプトン、キース・リチャーズ、トレイ・アナスタシオ、ノー・ダウト、ベン・ハーパー、ザ・ルーツ、シャギーなどのミュージシャンとコラボレートし、初期のヒット曲を再録音したアルバム「True Love」をリリース。このアルバムはその年のグラミー賞でベスト・レゲエ・アルバムを受賞しました。
2006年にはトリビュート・アルバム「Radiodread」のために、「Let Down」のレゲエ/スカ・ヴァージョンをレコーディング。2007年8月には再録と新曲を収録した「Light Your Light」をリリース。このアルバムは2008年にグラミー賞のベスト・レゲエ・アルバム部門にノミネート。2012年のライブアルバム「Unplugged on Strawberry Hill」でもグラミー賞にノミネートされました。
2013年5月、トゥーツはステージで演奏中にウォッカのボトルを観客に投げられ頭部を負傷。この怪我や精神的ショックによりグループは2016年まで再びライブ活動を休止します。
2016年、3年ぶりのツアーでステージに復帰。2017年にはコーチェラ・フェスに出演しました。その後もライブを中心に活動をつづけていましたが、2020年9月11日にコロナウィルスの合併症のためトゥーツ・ヒバートが亡くなったことが発表されました。
トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズで一番好きな曲
私がトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズと出会ったのは、浪人時代。スペシャルズの「Monkey Man」のオリジナルがトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズと知ってアルバム「Monkey Man」を聴いてみました。すると、知っている曲が他にもあって、すぐにお気に入りに。あの頃は2トーンやトロージャンズなどのスカ・リヴァイバルに入れ込んでいたのでそこを経由してレゲエのルーツを辿っていましたが、やはりボブ・マーリー、メイタルズ、ジミー・クリフは大好きです。
トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズで一番好きな曲「この1曲」は、「Monkey Man」、「54-46(That’s My Number)」と迷った末、「Pressure Drop」を選曲します。ソウルフルなトゥーツのヴォーカルが最高。心地よいバック・ビートに任せて勝手に体が動き出す1曲。
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