50年に渡ってメンバーと音楽性を変えながら活躍
今日はドゥービー・ブラザーズで一番好きな曲「この1曲」を取り上げます。
ドゥービー・ブラザーズは、1970年に結成されたアメリカ・カリフォルニア州サンノゼ出身のロックバンド。
ドラマーのジョン・ハートマンとシンガー、ギタリスト、ソングライターのトム・ジョンストンが出会い、パドというバンドを結成。サンノゼとその周辺で演奏しながらラインナップやスタイルを実験的に変えていきました。
1970年にシンガー、ギタリスト、ソングライターのパトリック・シモンズ、ベーシストのデイヴ・ショグレンが加入しラインナップが固まり、バンド名をドゥービー・ブラザーズと改めます。
ドゥービー・ブラザーズは1970年に北カリフォルニア各地でライブを行うことで演奏力を向上させていき、その年のうちにワーナー・ブラザースとの契約を獲得しました。
1971年4月にセルフタイトルのファースト・アルバム「The Doobie Brothers」をリリースしてデビュー。
1971年の晩春から夏にかけて、マザー・アースとの初の全国ツアー「マザー・ブラザース・ツアー」をおこないます。
1971年10月下旬から、次のアルバムのレコーディング中にショグレンが脱退。12月に後任のシンガー、ソングライター、ベーシストのタイラン・ポーターが加入し、同時にマイケル・ホサックがレギュラーとして加入しました。ポーターはよりファンキーなベース・スタイルを持ち込み、ジョンストンとシモンズの声にハスキーなバリトンが加わり、3部構成の豊かなハーモニーとなりました。
1972年7月にセカンド・アルバム「Toulouse Street」をリリース。ヒット曲「Listen to the Music」と「Jesus Is Just Alright」を収録し、全米21位を記録します。以降、1973年3月「The Captain and Me」、1974年2月「What Were Once Vices Are Now Habits」をリリースし、どちらもダブル・プラチナを獲得します。1973年秋にホサックが脱退し、キース・ヌードセンが後任となります。また、これまでもサポートメンバーとして参加していたギタリスト、ジェフ・”スカンク “バクスターが加入し、トリプルギター体制となります。
1974年頃には厳しいツアーがジョンストンの健康を脅かし、1975年春には出血性潰瘍のために緊急入院が必要になりました。ツアーが進行中だったためバンドは元スティーリー・ダンのシンガー、ソングライター、キーボーディストのマイケル・マクドナルドを加入させ、シモンズ、ヌードセン、ポーター、マクドナルドはツアー中にジョンストンのパートを分担して歌いツアーを乗り切りました。
契約上の問題からジョンストン不在のまま残ったメンバーを中心に「Takin’ It to the Streets」を制作、1976年3月にリリースします。このアルバムはバンドのサウンドを根本的に変え、エレクトリック・ギターをベースにしたロックンロールから、ソフト・ロックとブルー・アイド・ソウルへと変化しました。全米8位を記録し、プラチナ・ディスクを獲得します。
また、1976年末には「Best of the Doobies」というコンピレーション・アルバムがリリースされ、現在までに1000万枚以上を売り上げ、ダイヤモンド認定を受けます。
体力を回復し、一時的にグループに戻ったジョンストンでしたがグループへの影響力の低下は否めず、結局1977年に脱退します。
以降はマクドナルド を中心にこの路線をさらに洗練させていきます。1977年の「Livin’ on the Fault Line」は全米10位を記録し、続く1978年の「Minute by Minute」はバンドの2枚目のNo.1シングル「What a Fool Believes」を収録し、全米1位を記録。グラミー賞を受賞します。
しかし、毎年アルバムをレコーディングしてリリースしながらのツアーのプレッシャーでメンバーは疲弊していました。マクドナルドとの音楽性の対立からハートマン、バクスター、ラカインドが脱退します。
「Minute by Minute」が大ヒットし、ツアーでの収益も増えたため、残ったドゥービーズ(シモンズ、ヌードセン、マクドナルド、ポーター)は前進することを決意。1979年、ドラムスにチェット・マクラッケン、マルチ・ストリングス奏者のジョン・マクフィー、ヴォーカル、キーボード、サックス、フルートを演奏するコーネリアス・バンパスが新加入。このラインナップで1979年を通してツアーをおこないました。
1980年にラカインドはフルタイムのメンバーとして復帰し、ドゥービーズの9枚目のスタジオ・アルバム「One Step Closer」を発表。全米3位を記録します。
ポーターは、コカインの問題と闘っていたこともあり、「One Step Closer」のレコーディング後にバンドを脱退。セッション・ベーシストのウィリー・ウィークスがバンドに加わり、ドゥービーズは1980年から1981年にかけてツアーを続けましたが、1982年のツアーを最後にドゥービー・ブラザーズは解散します。
それぞれソロ活動をおこなっていましたが、1987年にヌードセンが呼びかけ、チャリティー・コンサートのために一時的に再結成。このコンサートは瞬く間に12都市ツアーへと発展する大成功を収め、バンドの再結成についての議論がおこなわれました。
結局1989年にオリジナル・メンバーのジョンストン、シモンズ、ハートマンに、マイケル・ホサック、タイラン・ポーター、ラカインドの6人で再結成します。5月にはアルバム「Cycles」をリリース。このアルバムはシングル「The Doctor」(全米9位)を収録し、全米17位、ゴールド・ディスクを獲得します。
以降も相次ぐメンバーの死を乗り越えながらアルバムの制作、コンサート活動をおこない、現在も活動中です。
ドゥービー・ブラザーズで一番好きな曲
音楽好きな友人と会話するとドゥービー・ブラザーズは初期か、マクドナルド期かどっちが好き?みたいな話に絶対なって、初期って言わないと許されないような雰囲気も当時あったのですが、私は高校時代に運良く?初期から一気に聴いていった後追い世代だからなのか、どちらの良さも偏見なく受け入れることができました。聴きこんだアルバムも「Toulouse Street」、「The Captain and Me」、「Livin’ on the Fault Line」、「Minute by Minute」と満遍なくという感じでした。ほんとにどっちも好き。
そんなドゥービーズですが、1曲だけ選ぶとなると、初期かマクドナルド期か選ばなくてはいけないわけで、心苦しい思いになるんですよね。「China Grove」、「Jesus Is Just Alright」、「Listen to the Music」、「Minute by Minute」、「Real Love」、「What A Fool Believes」など名曲が並ぶ中、ドゥービー・ブラザーズで一番好きな曲「この1曲」は「The Captain and Me」収録の「Long Train Runnin’」を選曲。
ギターのリフだけで持っていかれます。アコースティックギターを絡めたアンサンブルは最高ですし、複雑なベースラインにも唸ってしまいます。
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