ロンドン・パンクの象徴
今日はセックス・ピストルズで一番好きな曲「この1曲」を取り上げます。
セックス・ピストルズは1975年イギリス・ロンドンで結成されたロックバンド。パンクロックの象徴的なバンドです。
メンバーと担当楽器は以下の通り。
- ジョニー・ロットン(ヴォーカル)1975年-1978年、1996年-2008年
- スティーヴ・ジョーンズ(ギター)1975年-1978年、1996年-2008年
- ポール・クック(ドラムス)1975年-1978年、1996年-2008年
- グレン・マトロック(ベース)1975年-1977年、1996年-2008年
- シド・ヴィシャス(ベース)1977年-1978年
学校の友人同士だったスティーヴ・ジョーンズとポール・クックが1972年にザ・ストランドというバンドを結成。一時期ニューヨーク・ドールズのマネジャーで、当時はロンドンのキングス・ロードで「SEX」というブティックを経営していたマルコム・マクラーレンがバンドのマネジャーとなります。
マルコム・マクラーレンはバンドをパンクのスタイルで売り出そうと考え、1974年にグレン・マトロック、1975年にジョニー・ロットンが加入。同年11月に「セックス・ピストルズ」としてライブをおこないます。シンプルなロックンロールと過激で反社会的な歌詞、パンク・ファッションが話題となりすぐに注目を集めます。
1976年10月8日、大手レコード会社EMIはセックス・ピストルズと2年間の契約を結びます。ロキシー・ミュージックのプロデュースやピンク・フロイドの「The Dark Side of the Moon」のミックスを手がけたクリス・トーマスがプロデュースに迎え、1976年11月26日に最初のシングル「Anarchy in the U.K.」をリリース。 1976年12月1日、テムズテレビの番組「トゥデイ」に出演。生放送中に放送禁止用語を連発し、イギリス国内を席巻します。
ピストルズはクラッシュとハートブレイカーズのサポートを受けて国内ツアーを敢行。メディアの報道は激しく、コンサートの多くは主催者や地方自治体によってキャンセルされ、20回ほど予定されていたライブのうち、実際におこなわれたのは7回ほどででした。
EMIはこれらの問題からピストルズとの契約を解除します。続いて契約したA&Mレコードではシングル「God Save the Queen」をレコーディングしますが、発売前に契約を破棄されます。
1977年にヴァージン・レコードよりアルバム「Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols(勝手にしやがれ)」をリリースし、全英1位を記録します。同年グレン・マトロックが、ジョニー・ロットンとの不和などの理由で脱退。後任には、ロットンの友人であるシド・ヴィシャスが加入します。
1978年に初のアメリカツアーをおこないますが、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。アメリカツアーは中止され、バンドは解散。ジョニーは本名のジョン・ライドンに戻し、パブリック・イメージ・リミテッドを結成します。
1979年にはシドが大量の薬物摂取で21歳の若さで死去。
その後1996年にオリジナル・メンバーで再結成し、ワールド・ツアーをおこない、来日公演も実現しています。以後も数回再結成してライブをおこなっています。
セックス・ピストルズで一番好きな曲
以前、クラッシュの記事にも書きましたが、私がピストルズを聴いたのはクラッシュのあと。中学生のころでしたが、バンド名「セックス・ピストルズ」は中学生には刺激的すぎました。ひととおりクラッシュを聴いてから「Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols(勝手にしやがれ)」を手にするわけですが、わかりやすくシンプルなロックンロールがカッコよく、何よりアルバム全体を通す熱量がすごい。そして、歌詞の内容も衝撃的でしたね。中学生には。このアルバムをプロデュースしたクリス・トーマスの力量はすごいなと今更ながら感じます。
セックス・ピストルズで一番好きな曲「この1曲」には「Never Mind the Bollocks, Here’s the Sex Pistols(勝手にしやがれ)」の1曲目、「Holidays in the Sun」を選曲します。後追い世代の私が初めて聴いた曲。シンプルかつキャッチーなメロディは耳に残ります。ジョニー・ロットンの独特な巻き舌ヴォーカルはインパクト絶大です。
コメント