白人ヒップホップ・グループの草分け的存在
今日はビースティ・ボーイズで一番好きな曲「この1曲」を取り上げます。
ビースティ・ボーイズは1978年、アメリカ・ニューヨークで結成されたヒップホップ・グループ。
メンバーと担当は以下の通り。
- マイク”Mike D”ダイヤモンド(MC、ドラムス)
- アダム”Ad-rock”ホロヴィッツ(MC、ギター)
- アダム”MCA”ヤウク(MC、ベース)
ビースティ・ボーイズは1978年にパンクバンド「ヤング・アボリジニーズ」のメンバーから結成されたバンドで、 1981年にバンド名をビースティ・ボーイズに変更しました。
バンドはバッド・ブレインズ、デッド・ケネディーズ 、ミスフィッツ、レーガン・ユースをCBGB、マックス・カンザスシティなどの会場でサポートし、1982年11月には7インチEP「Polly Wog Stew」をレコーディングします。
1983年にはヒップホップ・トラック「Cooky Puss」をリリース。サンプリングを駆使したこの曲はニューヨークのクラブでヒットしました。この成功を受けて、バンドはラップをセットに取り入れ始めます。
1984年に12インチ・シングル「Rock Hard」をリリース。1985年にはパブリック・イメージ・リミテッドのオープニングを務め、マドンナの北米ツアー「The Virgin Tour」をサポート。 その後、フィッシュボーン、マーフィーズ・ロウとDJハリケーンのヘッドライナーを務め、さらにラン・DMC、LL・クール・Jらとのレイジング・ヘル・ツアーに参加しました。これらの露出が要因となり、シングル「Hold It Now, Hit It」はビルボードのR&Bとダンスチャートでチャートインしました。
1986年11月にはファースト・アルバム「Licensed to Ill」をリリース。ビルボード200で1位、R&Bアルバム・チャートで2位を獲得し、最終的には1000万枚以上を売り上げました。4枚目のシングル「(You Gotta) Fight for Your Right (To Party!)」は全米7位を記録しています。
セカンド・アルバム「Paul’s Boutique」は1989年7月にリリースされ全米14位を記録。このアルバムもマルチ・プラチナ認定を受けます。
その後も、1992年「Check Your Head」、1994年「Ill Communication」、1998年「Hello Nasty」と傑作アルバムを連発。「Hello Nasty」ではグラミー賞も受賞しています。
2000年代に入っても2004年「To the 5 Boroughs」、2007年「The Mix-Up」、2011年「Hot Sauce Committee Part Two」とコンスタントにアルバムをリリースしていきますが、2012年にMCAが耳下腺がんのため死去。ビースティ・ボーイズは、今後ライヴを行なわないことを残りのメンバーが表明し、解散しました。
ビースティ・ボーイズで一番好きな曲
私がビースティ・ボーイズを初めて聴いたのは「(You Gotta) Fight for Your Right (To Party!)」。まだ中学生になったころで、私にとってはビースティ・ボーイズがヒップホップの入り口だったわけです。ラップも何かよくわからないまま聴きましたが、ハードロックとラップの融合がとても刺激的で、こんな音楽もあるんだなと、すぐにゲオでレンタルしたことを思い出します(買えないところが中学生)。
先日のフジロック配信でMCAを観てウルっとしてしまいましたが、めちゃくちゃカッコ良かったですね。ビースティ・ボーイズで一番好きな曲「この1曲」はフジロックもセレクトしてくれた「Ill Communication」収録の「Sabotage」です。パンクの要素、ハイテンションなラップ、MCAのベースがめちゃくちゃかっこいいです。
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