ポストパンクを代表するバンド
今日はジョイ・ディヴィジョンの「この1曲」を紹介します。ポストパンクを代表するロックバンドの一つですね。
ジョイ・ディヴィジョンは1976年イギリス、グレーター・マンチェスターのサルフォードで結成されました。メンバーと担当楽器は以下の通り。
- イアン・カーティス (ヴォーカル)
- バーナード・サムナー(ギター、キーボード)
- ピーター・フック(ベース)
- スティーヴン・モリス(ドラムス)
バーナード・サムナーとピーター・フックはセックス・ピストルズのライブを観て感化され、バンドをはじめます。
レコード店などでメンバーを募り、1977年にはメンバーが固まります。バンドはワルシャワと名乗っていましたが、1978年にはジョイ・ディヴィジョンと改名します。
1978年6月には自主制作した「An Ideal for Living」でレコーディング・デビューを果たし、その2週間後にはコンピレーション・アルバム「Short Circuit」に「At a Later Date 」を提供します。
1978年9月、ジョイ・ディヴィジョンはテレビデビューを果たし、10月には2曲をコンピレーション・アルバム「A Factory Sample」に提供しました。
1979年6月にはファースト・アルバム「Unknown Pleasures」をリリース。初回プレスで1万枚を売り上げます。
1979年10月から始まった24公演のイギリスツアーではバズコックスをサポートし、メンバーは生計を立てるための仕事を辞め、バンド活動に専念します。 11月にはアルバムには収録されていないシングル「Transmission」をリリースしました。
1980年1月にヨーロッパ・ツアーをおこないました。過酷なスケジュールで、イアンはツアー中に持病てんかんの大発作を2度経験します。
3月には、セカンド・アルバム「Closer」をレコーディング。
睡眠不足と長時間の労働がたたってイアンはてんかんを悪化させ、1980年4月7日、抗てんかん薬であるフェノバルビタールの過剰摂取により自殺を図ります。
ジョイ・ディビジョンは、1980年5月に初めての北米ツアーを開始する予定でしたが、5月18日にイアンが自宅で首を吊り自殺。バンドは活動を停止し、北米ツアーもキャンセルされました。
1980年6月にはシングル「Love Will Tear Us Apart」がリリースされ、全英13位を記録。7月にはアルバム「Closer」がリリースされ、全英6位を記録しました。
イアンの死のずっと前から、「メンバーが一人でも欠けたらジョイ・ディヴィジョンの名前でバンド活動は行わない」という約束をしていて、残されたメンバーはニュー・オーダーとして活動を続けています。
ジョイ・ディヴィジョンで一番好きな曲
ジョイ・ディヴィジョンは1980年で活動を終えていて、1970年代生まれの私にとってはリアルタイムで聴けなかったバンドで、聴き始めたのは大学に入ってからでした。
ジョイ・ディヴィジョンで一番好きな曲「この1曲」は、イアンの悲劇とセットで聴いてしまう「Love Will Tear Us Apart」、大好きな繰り返し系の「Decades」、そして人気が高い「Disorder」などの名曲を差し置いて、オリジナル・アルバムには収録されていない「Dead Souls」を選曲します。
この曲2分を超えるまでヴォーカルが入りません。決してイアンが入ってくるタイミングがないわけじゃなく、これはあえて繰り返してる。イントロのアンサンブルやリフがもう最高です。「They Keep Calling Me」の歌詞が印象的なイアンのヴォーカルもパワフル。そして事切れるかのような終わり方もかっこいいです。
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