ザ・ハートブレイカーズのおすすめ「この1曲」

この1曲
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パンク・ロックの第一波を先導

昨日のニューヨーク・ドールズに引き続き、今日の「この1曲」もジョニー・サンダース関連でザ・ハートブレイカーズを取り上げます。

ザ・ハートブレイカーズは1975年にアメリカ・ニューヨークで結成されたロックバンド。

オリジナルメンバーと担当楽器は以下の通り。

  • ジョニー・サンダース(ギター、ヴォーカル)
  • ウォルター・ルー(ギター、ヴォーカル)
  • リチャード・ヘル(ベース、ヴォーカル)
  • ジェリー・ノーラン(ドラムス)

1975年にニューヨーク・ドールズを脱退したジョニー・サンダースとジェリー・ノーランは、同じくテレヴィジョンを脱退したリチャード・ヘルを新しいバンドに誘い、加入します。

2人目のギタリストの候補者をオーディションし、ウォルター・ルーが加入。

ハートブレイカーズは瞬く間にニューヨークで最も人気のあるアンダーグラウンド・バンドの一つとなり、CBGBなどの有名クラブでライブをおこないました。

初期の頃は、各メンバーが交代でヴォーカルを担当しており、リチャード・ヘルはテレヴィジョンのために書かれた曲を持ち寄り、ジョニーは新しい曲も提供していました。ウォルター・ルーは何曲かの曲でリードを歌い始め、ジェリー・ノーランとの共同作曲もおこなっています。

ハートブレイカーズは人気はあるものの、バンドがヘロインを使用していたことがよく知られていたため、レコーディング契約を得ることはできませんでした。

当初はメンバーがソングライティングとヴォーカルを分担していましたが、リチャード・ヘルは次第に自分の意志を押し付けるようになっていき、1976年初頭にはほとんどの曲を彼が歌うことになり、ジョニーは1セットに1~2曲しか歌えなくなりました。

この状況にジョニーはバンドを脱退することを選択。他の2人もジョニーに同調。結局リチャード・ヘルが脱退することになりました。

何人かのベーシストをオーディションした後、ビリー・ラスが加入。リチャード・ヘルは自身のバンドを結成します。

1976年の秋、ニューヨーク・ドールズの衰退期にマネージメントをしていたマルコム・マクラーレンが、セックス・ピストルズのアナーキー・ツアーに参加するためにイギリスに来ないかとバンドを誘います。

バンドはオファーを受け入れ、12月1日にロンドンに到着。しかし、ちょうど同じ日、ピストルズがゴールデンタイムのテレビの生放送で放送禁止用語を連発。この影響でツアーのほとんどがキャンセルされました。

アナーキー・ツアーが中止になった後、イギリスに残り、ロンドンで数回のギグを行った後、トラック・レコードとレコード契約を結びます。

1977年3月、彼らのデビュー作であり、唯一のスタジオ・アルバムである「L.A.M.F.」をリリース。

このアルバムはレコーディングの質の低さとマスタリングの難しさからバンド内の対立を引き起こし、 1978年秋、ジェリー・ノーランがアルバムのミックスを気に入らなかったため脱退。これが引き金となってハートブレイカーズは解散しました。

ハートブレイカーズで一番好きな曲

ハートブレイカーズはアルバムは1枚しか発表していませんが、収録されている楽曲は名曲揃い。

これがちゃんとレコーディング、ミックスできていたらいろいろ変わっていたんじゃないかと残念で仕方ありません。

後年にリミックスされたり、さまざまな検証もされていることからも、関わる人みんなが何か引っかかっていて、先に進めないものがあったんじゃないでしょうか。

ハートブレイカーズの「この1曲」は「L.A.M.F.」の1曲目を飾る「Born to Lose」を選曲します。

楽曲のカッコよさはもちろんですが、ラフでルーズでありながら気合の入った演奏を聴かせてくれています。歌詞ではBorn to Lose(失うために生まれた、生まれながらの負け犬)と唄いながらも、せっかく手にしたレコード契約ですから売れたかったでしょうし、この演奏に賭けていたことも感じられます。

前述の録音状態の酷さで緊張の糸が切れたように解散してしまったのも分かる気がするんですよね。

Born To Lose (Remastered)

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