先日の1月10日はデヴィッド・ボウイの命日でした。
あれから9年も経ったのかと、40代の年月の過ぎゆく早さがおそろしい。
このままだとボウイが亡くなった69歳なんてすぐやってくる。
ボウイのように、なんて望まないけれど、「生きた証」を残すべく日々仕事に邁進せねば。
そんなことを考えながら、「★ Blackstar」を聴き、その素晴らしさに浸りました。
そして、まだ記憶に残るあの日のことを振り返って書いておこうかなと思ったのです。
2016年1月11日
その日は休日。カレンダーをさかのぼると月曜日だった。
平日なのになぜ私も妻も休みだったのか覚えていないけれど、
まあ、とにかく妻と少し離れた隣町に出かけた。
車内のBGMは届いたばかりの「★」。お昼を食べてそのまま日用品の買い物に。
ドラッグストアの駐車場に車を停めて、充電中だった携帯を手に取る。
ロック画面に躍る文字。
デヴィッド・ボウイ死去
へ?
しばしフリーズ。
え?まじで?
先に車を降りていた妻が怪訝そうにこちらを見る。
私「デヴィッド・ボウイが死んだ!」
買いものを終えて帰路。ショックというかまだ現実感がない。
車内には“遺作”と認識されて初めての「★」が再生を続けている。
この時はまだ遺作を味わい、そのメッセージを感じ取ることはできなかった。
ただただ彼の声に耳を傾ける。
家に帰り、いろいろと情報収集する。がんで闘病していたこと。最期は家族に囲まれて安らかに亡くなったこと。どうやら本当のようだとわかってきた。
夜も「★」ばかり聴いていたけれど、不意に「Ziggy Stardust」が聴きたくなったので、ジャージに着替え、ランニングシューズを履き、ウォーキングに出た。肌寒く、息が白かった。
その日は曇りで、グレイな夜空を見上げながら歩き出す。
星が観たかった。
30分以上歩いただろうか、少し拓けた公園にたどりついた。
くまなく空を探したが、1つも星は無し。
「Rock & Roll Suicide」を聴き終わっても、本当に星が無くなってしまったみたいに1個も見つけられなかった。
静寂のなか、5分くらいたたずんだだろうか。
結局星は出てこなかった。
こんなことあるんだろうか。
「まじでBlackstarやんか。」
その光は見えなくても私のなかに輝くデヴィッド・ボウイがいる。
想像力を忘れるなってことか。
妙に腹落ちした。
あらためて「★」を聴きながら帰路に。家に着くころに流れた「I Can’t Give Everything Away」はこれまでとは違って聴こえた。
★ Blackstar
その夜を越えてからは、通勤時、職場、家で過去作品を聴き返す時期を半年ほど続けていました。
当然「★」も何度もリピート。
最後のアルバムとわかって制作したこのアルバム。
バックにマーク・ジュリアナなどジャズ界隈の人材を起用したチャレンジングな作品だし、ダークな出だしから天まで届きそうな抜け感を持った「I Can’t Give Everything Away」で終える構成の素晴らしさ。今聴いてもたまらないです。最高にかっこいい幕引き。意識的に遺作を制作できる時間があって良かった。
この作品を聴くと純粋に内容の素晴らしさ、少しの寂しさ、そして最後の最後にやられた!というちょっとニヤけちゃうような見事さを感じずにはいられません。
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