シカゴ・ブルースの父
ミュージシャンの楽曲の中で、一番好きな曲を選び紹介する「この1曲」。
今日はマディ・ウォーターズを取り上げます。
マディ・ウォーターズは1913年アメリカ・ミシシッピ州生まれのブルース・シンガー、ギタリスト。
シカゴで活動し、バンド・スタイルのブルースを演奏。シカゴ・ブルースを形成したことから、「シカゴ・ブルースの父」と呼ばれ、ブルースの第一人者となりました。
ロック界からのリスペクトも多く、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、ザ・バンドなど、影響を受けたミュージシャンは枚挙にいとまがありません。
マディ・ウォーターズはミシシッピ時代の1941年に初めてのレコーディングを経験し、
1943年にプロのミュージシャンを目指してシカゴに移ります。
日中はトラックの運転手や工場で働いて、夜はクラブで演奏する日々を送り、
1946年にはコロムビアでレコーディングをしています。
その後も「Gypsy Woman」、「Little Anna Mae」、「Rollin’ Stone」などの曲をリリースし、
クラブでは人気が高まっていきます。
この頃はまだバンドでの演奏ではなく、ピアノとベースをバックに演奏していました。
バンド・スタイルで演奏し始めるのは1953年からで、
歴史で最も評価の高いブルース・グループの1つとも言える、
リトル・ウォルター(ハーモニカ)、ジミー・ロジャース(ギター)、エルガ・エドモンズ(ドラムス)、オーティス・スパン(ピアノ)という陣容でした。
バンドは1950年代初頭の一連のブルース・クラシックを録音。
その中には、ベーシスト兼ソングライターのウィリー・ディクスンが参加した、
「Hoochie Coochie Man」、「I Just Want to Make Love to You」、「I’m Ready」などがありました。
その後も「Mannish Boy」や「Close to You」などヒット曲を次々にリリースし、
1958年には所属していたチェス・レコードは12枚のシングルを集めた最初のコンピレーション・アルバム「Best of Muddy Waters」を発表します。
1960年代に入るとフォーク・ブームに乗った「Folk Singer」や、
サイケデリックな「Electric Mud」など意欲的なアルバムを数多くリリースします。
1970年代にはさらにロックへ傾倒していき、ザ・バンドや、ポール・バターフィールド、ジョニー・ウィンターとコラボレーションしています。
1983年に癌で亡くなるまで多くの作品を残しました。
マディ・ウォーターズで一番好きな曲
私がマディ・ウォーターズを聴き始めたのは高校時代。
ローリング・ストーンズのバンド名がマディ・ウォーターズの「Rollin’ Stone」から来ているのを知って、
音楽的にも影響を受けていることを知って、ブルースを聴き始めました。
マディ・ウォーターズはヴォーカルの迫力はもちろんのこと、バンドとしての音の厚みがすごいと思いました。
全ての楽器がユニゾンする豪快なサウンドに衝撃を受けました。
私が選ぶマディ・ウォーターズの「この1曲」は「Mannish Boy」です。
数々のライブ音源も残されていますが、この曲はライブ受けもめちゃくちゃ良かったでしょうね。
みんなで「イェーー」って言いたいですもんね。
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