ジョンとポールもカバーし影響を受けたロックンローラー
おすすめのミュージシャンの曲で一番好きなものを選んで紹介していく「この1曲」。
今日はロックンロール2日目。ジーン・ヴィンセントを取り上げます。
ジーン・ヴィンセントは1935年、アメリカ・バージニア州・ノーフォークで生まれたロックンロール、ロカビリーのシンガー、ギタリスト。
1952年、17歳のときに高校を中退。海軍に入隊しますが、足を痛め、1955年には除隊となります。
除隊後に地元ノーフォークでジーン・ヴィンセント・アンド・ヒズ・ブルー・キャップスというロカビリー・バンドを結成します。
1956年、ジーンは「Be-Bop-A-Lula」を書き、地元のラジオ局WCMSがこの曲のデモ制作を手配し、これがきっかけでキャピトル・レコードと契約しました。
「Be-Bop-A-Lula」はもともとはファースト・シングル「Woman Love」のB面としてリリースされ、全米ポップ・チャートで7位を記録するヒットとなりました。
「Be-Bop-A-Lula」がヒットした後、「Race with the Devil」(96位)や「Bluejean Bop」(49位)「Lotta Lovin’」(13位)、「Dance to the Bop」(23位)と次々とシングルをリリースし、
1956年に映画「The Girl Can’t Help It」にも出演しました。
しかし、その後はアメリカでのロックンロールの人気が下降線となり、ジーンはヨーロッパに拠点を移すことになります。
ジーンはエディ・コクランなどとともにヨーロッパ各国をツアーし、好評を得ます。
特にイギリスでは熱狂的に迎えられますが、1960年4月16日タクシーの高速交通事故に巻き込まれ、肋骨と鎖骨を骨折し、弱った足をさらに損傷。
同乗していたエディ・コクランは脳に重傷を負い、翌日死亡してしまいます。
傷ついたジーンは事故後、アメリカへ帰国します。
1961年に再びイギリスに戻り、ダンスホールや劇場をツアーし大成功を収めます。
1963年にはイギリスに移住し再びツアーをおこないました。
1969年に帰国するまでイギリス、アメリカで演奏やレコーディングを続けますが、
50年代のような輝きを取り戻すことはできませんでした。
1971年10月12日、胃潰瘍により亡くなります。まだ36歳でした。
ジーン・ヴィンセントで一番好きな曲
私がジーン・ヴィンセントを初めて聴いたのは幼少期。
両親のオールディーズCDに入っていたのを知らずに聴いていたのが最初だと思います。
それでしっかり聴きなおしたのが高校3年生でした。
革ジャンがロッカーズの定番ファッションになったのは、イギリスに渡ったジーン・ヴィンセントが出演したテレビ番組での衣装の影響というのが定説ですが、
私の予備校仲間にも革ジャン&リーゼントという風貌の同級生が結構いて、
一緒にジーンやエディを聴いて、さらば青春の光を観たりしていました。
さてジーン・ヴィンセントの「この1曲」ですが、やはり「Be-Bop-A-Lula」を選曲します。
独特のヒーカップ唱法のヴォーカルが色気たっぷりで男の私からしてもすごくセクシー。
ジョン・レノンもカバーしていてそちらも好きなんですけど、ヴォーカルの色気という意味では、ジーン・ヴィンセントに軍配が上がりますね。
昨日のエディ・コクランも独特なソングライティングでロック史上に残る名曲を残しましたが、
この「Be-Bop-A-Lula」も燦然と輝くロックの名曲です。
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