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ジョン・リー・フッカーのおすすめ「この1曲」

この1曲

キング・オブ・ブギ

ミュージシャンの楽曲で最も好きなもの1曲だけを選んで紹介していく「この1曲」。

今日はジョン・リー・フッカーの「この1曲」。

ジョン・リー・フッカーは1917年アメリカ・ミシシッピ州・クラークスデイル生まれのブルース・シンガー、ギタリスト。

バプテスト教会の説教者の家に生まれ、11人兄弟の末っ子として育ちました。

1921年に両親が離婚。母親は翌年、ブルース歌手のウィリアム・ムーアと再婚します。

ムーアはジョン・リーにギターの手ほどきをし、ブルースを教えます。

もう一人の影響を与えた人物は姉の恋人だったトニー・ホリンズ。

彼はジョン・リーに演奏を教え、最初のギターを買い与えます。

ジョン・リーはこの出会いがミュージシャンとしての基礎を形成したと語っています。

14歳で家を出たジョン・リー・フッカーは、さまざまな都市の工場で働き、

最終的には1943年にデトロイトのフォードに就職しました。

当時のデトロイトのはピアニストで有名で、ブルースバーやクラブにはギタリストは少なかったらしく、

ギターを演奏するジョン・リーの人気は急速に高まっていきました。

1948年にレコード・ディーラーであるバーニー・ベスマンの誘いを受け、

初のレコーディングをおこないました。

録音はベスマンの手によって行われましたが、ジョン・リーはめったに一定のビートで演奏せず、

曲のテイストに合わせて途中でテンポを変えていました。

このことがバッキング・ミュージシャンの演奏を難しくさせましたが、

ジョン・リーがギターを弾き、歌うのに合わせ、木の板(スノコのようなもの?)を踏み鳴らしながら録音しました。

初期の曲でドラムではなくて木の音が鳴っているのはこんなわけだったんですね。

こうしてリリースされた「Boogie Chillen」がR&Bチャート1位を獲得する大ヒットとなりました。

1950年代半ばからはそれまでの弾き語りスタイルからバンドでの演奏に移行し、

Dimples」や「Boom Boom」といった代表曲を生み出します。

1970年代に入るとカリフォルニアに移住。

1972年にはヴァン・モリソンと共演した「Never Get Out Of These Blues Alive」を発表するなど、

この頃からロック・ミュージシャンとの共演も活発におこなうようになります。

以降も80年代には映画「ブルース・ブラザーズ」への出演、90年代には「Boom Boom」をリヴァイヴァルさせてUKチャートを登るなど大活躍。

2001年に亡くなるまで多くのミュージシャンと共演しながら活発に活動しました。

ジョン・リー・フッカーで一番好きな曲

私がブルースを聴き始めたのは高校時代でした。

ストーンズをきっかけにマディ・ウォーターズを聴いたのが初ブルースだったと思いますが、

そこからいろんなブルースマンを聴いていく中で出会ったのがジョン・リー・フッカーでした。

迫力あるヴォーカル、ギターが最高で、ブギ独特の繰り返す感じがツボでした。

そんなジョン・リー・フッカーの「この1曲」は、「Boom Boom」を選曲します。

バンドでやってる曲がやっぱりたまらなくて、間奏でジャムってるのとか、踊れる感じが大好きです。

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