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エルヴィス・プレスリーのおすすめ「この1曲」

この1曲

キング・オブ・ロックンロール

ミュージシャンごとのおすすめ曲を1曲だけ選んで紹介していく「この1曲」。

今日はエルヴィス・プレスリーです。

20世紀の最も重要なアイコンの一人として、「キング・オブ・ロックンロール」または単に「キング」と呼ばれています。

エルヴィス・プレスリーは1935年アメリカ・ミシシッピ州・テュペロで生まれたミュージシャン、映画俳優。

エルヴィスのキャリアは1954年に始まり、アフリカ系アメリカ人の音楽をより多くの聴衆に届けたいと考えていたプロデューサーのサム・フィリップスと共にサン・レコードでレコーディングしました。

アコースティック・ギターのリズム・ギターでリード・ギタリストのスコッティ・ムーアとベーシストのビル・ブラックを従えたエルヴィスは、カントリー・ミュージックとR&Bをアップテンポでバックビートに合わせて融合させたロカビリーの先駆者でした。

1955年にはドラマーのD.J.フォンタナが加わり、カルテットのラインナップが完成し、20年以上にわたってエルヴィスを管理するトム・パーカー大佐の手配でRCAビクターが契約を獲得しました。

1956年1月にリリースされたシングル「Heartbreak Hotel」が初めての全米No.1ヒットとなりました。

3月にはデビュー・アルバム「Elvis Presley」がリリース。このアルバムはビルボード・チャートのトップに立った最初のロックンロール・アルバムとなり、10週にわたって1位をキープしました。

テレビにもエド・サリヴァン・ショー、ミルトン・バール・ショーなどに出演。その性的に挑発的なパフォーマンススタイルが賛否両論を巻き起こしました。

1956年11月、エルヴィスは「Love Me Tender」で映画デビューを果たしました。

1958年に徴兵され2年後に除隊。すぐに活動を再開し、商業的に最も成功した作品をいくつか発表しました。

しかしコンサートはほとんど行わず、パーカーの指導の下、1960年代の大半をハリウッド映画やサウンドトラック・アルバムの制作に費やしましたが、そのほとんどが批判的な評価を受けました。

1968年、7年間のライブ活動を休止していたエルヴィスは、のちに「カムバック・スペシャル」と呼ばれることになるテレビ番組に出演。

バンドと一緒に少人数の観客の前で演奏された曲などが紹介され、久々のライブ・パフォーマンスが放送されました。

この放送は42%の視聴率を獲得し、エルヴィス健在を印象付けました。

その後はラスベガスでのコンサート活動を延長し、収益性の高いツアーを次々と開催しました。

1973年、エルヴィスはソロ・アーティストとして初めて世界に向けて放送されたコンサート「アロハ・フロム・ハワイ」を行いました。

長年にわたる処方箋薬の乱用で健康状態が悪化し、1977年にグレイスランドの自宅で42歳の若さで急死しました。

エルヴィスはソロ音楽の中で最も売れたアーティストであり、ポップス、カントリー、R&B、アダルト・コンテンポラリー、ゴスペルなど多くのジャンルで商業的に成功を収めました。

グラミー賞を3回受賞し、36歳でグラミー賞生涯功労賞を受賞し、複数の音楽の殿堂入りを果たしています。

そのほか、RIAA認定のゴールドアルバムとプラチナアルバムの最多記録、ビルボード200でチャートされたアルバムの最多記録、英国アルバムチャートと英国シングルチャートでそれぞれ最多のナンバーワンアルバムとナンバーワンシングルを記録しています。

エルヴィス・プレスリーで一番好きな曲

エルヴィス・プレスリーというと、もう完全に私の親世代の音楽で、

私も物心ついたころには実家で流れていて、擦り込まれている音楽の一つです。

エルヴィスを聴き直すきっかけはNHKが放送した「カムバック・スペシャル」でした。

当時はMTVアンプラグドが始まっていた頃だったと思いますが、

「カムバック・スペシャル」はその先駆けのようなコンサートでベスト的なセットリストを「生」の良さで体現していて素晴らしかったのです。

私が選ぶ「この1曲」は「カムバック・スペシャル」でも演奏された名曲中の名曲、

Jailhouse Rock」を選曲します。

デビュー当時、黒人が歌っていると思われたのも納得なパワフルなヴォーカルが最高ですし、

出だしのギターとドラムの絡みはかっこいいとしか言いようがないです。

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